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存在しない判例を、裁判所へ——Mata事件で問われた確認と訂正
出典の確認を怠ったことと、疑いを指摘された後の訂正をどう考えるか。
AIに調査を頼むと、事件名、裁判所、引用文まで整った回答が返ることがある。その形のまま意見書や提案書へ移せば、出典を確認した気にもなる。けれど、名前が具体的であることは、その判例が存在する証拠ではない。判例が存在しても、示された引用や結論が原文にあるとは限らない。
2023年、米国の連邦地方裁判所は、存在しない判例を含む書面が提出されたMata v. Aviancaで、担当弁護士らと法律事務所に制裁を科した。この事件を「AIを使ったから制裁された」とだけ紹介すると、裁判所が詳しく扱った確認不足と、その後の対応が消えてしまう。
Mata事件から持ち帰るべきなのは、AI利用の一律禁止ではない。提出者が出典の実在と内容を確かめ、疑義が出た後に訂正できる状態をつくる責任である。
裁判所の記録から、事実の順番を読む
2023年6月22日の制裁命令 によると、原告側の提出書面には、AIが生成した存在しない裁判例と引用が含まれていた。書面に署名し提出した弁護士は、引用された司法判断を事前に確認していなかった。調査を担当した弁護士は、引用先の一つを探して見つけられなかった後も、AIが判例を捏造するとは考えなかったと証言している。
記録は、誤った書面を一度提出した事実だけで終わらない。相手方が複数の判例を見つけられないと指摘し、裁判所も判例の写しの提出を命じた。それでも早い段階で書面を撤回し、経緯を明らかにする対応には至らなかった。裁判所は、各人の行為を分けて検討し、意識的な回避や、裁判所に対する虚偽・誤解を招く説明について悪意を認定した。
命令は弁護士二人と法律事務所を対象とし、金銭の支払いに加え、関係者や、存在しない意見を書いたとされた裁判官へ命令書などを送ることを求めた。相手方の航空会社が制裁を受けた事件ではない。
「AIを使ったこと」と「確認を放棄したこと」を分ける
裁判所は、技術を調査補助に使うこと自体が不適切だとは述べていない。命令は、提出書面の正確性を確保する弁護士の既存の役割に触れたうえで、存在しない意見を提出し、疑義を示された後も支え続けた行為を問題にした。
ここから「法律業務ではAIを使えない」「AIが一つ誤れば必ず同じ制裁になる」と一般化することはできない。米国連邦裁判所の特定事件に関する命令であり、日本の法制度や別の職種へ同じ法的結論を直接移せる資料でもない。金額だけを取り出して、国内業務の想定損失にすることもできない。
一方、会社の社外文書へ応用できる仕事の原則はある。文書を提出する人は、作成手段がAIか、人か、検索サービスかにかかわらず、相手へ示す根拠を確認する。AIが候補を速く出せることと、その候補を根拠として採用できることの間に、確認の工程を置く。
責任の所在を「AIがそう答えた」に移すことはできない。社外へ出す人が、確認できた主張だけを提出できる工程が要る。
出典確認は、実在・内容・適用の三段階にする
AIが判例や公的資料を挙げたら、まず実在を確かめる。事件番号、裁判所、日付、文書の種類を、公的な検索や原文で照合する。検索結果の見出し、AIが作ったURL、別の記事からの孫引きだけで済ませない。原文へ到達できなければ、その時点で「未確認」である。
次に内容を確かめる。引用文が原文にあるか。その前後を含めても同じ意味か。誰の主張か、裁判所の判断か、少数意見か、事実関係の説明かを分ける。事件名が実在しても、AIが別事件の事実や結論を混ぜる可能性は残る。
最後に適用を確かめる。管轄、時点、対象となる当事者、前提事実、後の変更を見て、今回の主張をどこまで支えるかを担当者が判断する。統計なら対象集団と調査方法、制度資料なら施行時点と適用範囲が、この三段階に相当する。
確認表には、「主張」「一次資料」「該当箇所」「適用条件」「確認者」「確認日」を並べる。リンクがあるだけの欄を、確認済みにしない。原文が主張を支えないなら、別の根拠を探すか、主張を狭めるか、文書から外す。
確認のために別のAIへ同じ事件名を聞き、同じ答えが返っても、原文の代わりにはならない。第二のAIは探す手掛かりや確認漏れを出す役に使い、実在と引用内容は開けた資料へ戻す。「二つのAIが一致した」を提出可の印にしない。
疑義が出た後の動きを、提出前に決める
Mata事件では、相手方の指摘と裁判所の命令が、誤りを明らかにできる節目になった。会社の文書でも、提出後に顧客、取引先、行政、社内の確認者から「出典が見つからない」と言われることがある。そこで作成者だけが再検索し、説明を先送りすれば、相手は誤った情報で判断し続ける。
疑義を受けた窓口は、対象文書と主張を特定し、当該箇所の利用をいったん止める。内容確認者は原文を再確認する。提出責任者は、撤回、訂正、差替え、補足のどれが必要かを決める。連絡担当は、誰へ、いつ、何を伝えたかを残す。法務や専門職の判断が必要な文書なら、その人へ早くつなぐ。
訂正では、正しい文だけを上書きしない。どの版が提出済みか、誰が受け取ったか、古い版を参照する別文書があるかも確かめる。誤りの影響範囲が分からない段階では、「確認中」として利用を止め、判明した範囲と次の連絡時点を相手に伝える方法もある。
誤りへの対応は、正解を探す作業だけではない。誤った根拠がどこで使われたかを止め、影響先へ訂正を届ける仕事である。
期限のある文書ほど、未確認を見えるようにする
急ぐ文書では、すべての根拠を確かめ終わるまで何も進められない場合もある。だからこそ、「確認済み」「原文待ち」「適用条件が未確認」「提出に使わない」を主張ごとに表示する。確認済みの部分だけで提出する、未確認の段落を削る、専門家の回答時期を相手に伝える、という選択ができる。
上司や関係者と合意するのは、AIの利用可否という抽象論ではない。どの種類の社外文書に一次資料確認を求めるか、誰が最終版へ署名・承認するか、未確認の主張をどう差し戻すか、提出後の訂正窓口を誰にするかである。法令、判例、数値、製品仕様など、誤れば相手の判断を変える根拠から優先する。
提出した版、根拠表、確認日、提出先を同じ案件記録へ結び付ける。担当が替わっても、「AIを使ったか」を調べ直すのではなく、「この主張は何を根拠に確認されたか」から再開できる。これが、作成速度を保ちながら、確認を個人の注意力だけにしない方法である。
提出前に原文を確かめ、誤りが分かったら提出先へ訂正を届ける
Mata事件は、もっともらしい出典が社外提出まで進み、疑義が出た後も適切に立ち止まれなかった記録である。裁判所が扱ったのは、AIという道具の新しさだけではなく、提出者の確認と説明という既存の責任だった。
社外文書では、出典の実在、原文の内容、今回への適用を確かめる。誤りが分かったら、利用を止め、提出先へ訂正を届ける。この二つを役割と記録にすれば、AIの出力を調査の入口として使いながら、根拠の責任を手放さずに済む。